大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和35年(オ)807号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差戻す。

理由

第一、上告人東京都選挙管理委員会代理人弁護士鎌田久仁夫の上告理由第一点の一、右上告人指定代理人関岡賢一外三名の上告理由第一点の一、上告人川口清治郎代理人弁護士鈴木義男、同河野太郎の上告理由第四点の(二)、同上告人代理人弁護士徳岡一男の上告理由第一点について。

原判決は判決理由中三の(一)(1)において「ヤナセ」と記載された投票三票につき「候補者中右に最も近似するのは長瀬であると認められ、他にこれに類似する者がいないことからみて、選挙人がこの近似に基く覚え違いにより候補者の氏を片仮名で記載するに当り誤記したものとして同候補者の有効投票と認めるべきである」と判示している。思うに、公職選挙法六七条が(前略)投票の効力を決定するに当つては同法六八条の規定に反しない限り、その投票した選挙人の意思が明白であれば、その投票を有効とするようにしなければならないと規定している法意に徴すれば、当該投票を有効と認定するについては選挙人が候補者の何人に投票したかその意思が投票の記載自体から明認できる場合であることを必要とするものと解すべきである。ところで判示の場合において「ヤナセ」とだけ記載のある投票から候補者長瀬健太郎に投票した意思が明白なものと認め得るであろうか。成る程「ヤナセ」と長瀬(ナガセ)とは多少音感の近似性のあることは否定し得ないが、両者は発音の全体において、また字形において相異しているのであるから、たとい他に近似する者がいないからといつて、投票に「ヤナセ」とだけある記載からして、選挙人の意思が候補者長瀬健太郎を志向していること明白であるとはたやすく断じ得ないものと言わざるを得ない。然らば右投票の記載から選挙人が覚え違いから長瀬健太郎の氏を片仮名で記載するに当り誤記したものであつて右は同候補者への有効投票と認めるべきであるとした原判決の判断は右選挙法の適用を誤つたものと言うの外なく、論旨はすべて理由あるに帰する。

第二、前示鎌田久仁夫の上告理由第一点の二、前示関岡賢一外三名の上告理由第一点の二、前示鈴木義男外一名の上告理由第四点の(一)、前示徳岡一男の上告理由第二点について。

原判決は「(略)」なる投票についてその筆蹟からみて文字を書くことに不馴れな選挙人が、候補者長瀬健太郎に投票すべくその氏を音感の類似から覚え違えて「柳瀬」と書こうとして瀬の文字を知らないために書き損じて消し、更に誤つた当字を記載したものとみられ、「成瀬」なる投票は選挙人が候補者長瀬に投票しようとして、音感の類似から覚え違えて誤つて記載したものとみられ、しかも本件選挙における候補者中に「瀬」の文字のつく者は他に存在しないことよりして右投票はいずれも長瀬候補の有効投票となすべきであると判示する。しかし、柳瀬にしても成瀬にしても長瀬なる氏とはその呼び方並びに字形を異にするのであるから、前示の投票の記載自体からしては選挙人の意思が長瀬候補を志向していることを明示しているものとは容易に断じ難きものと言わなければならない。まして柳瀬について言えば二字目の「(略)」は漢字の体をなさず、これを瀬(セ)と読むものとは到底解し難きにおいておやである。されば原判決が、前示投票を長瀬候補への有効投票と認むべきであると判断したのは冒頭の記述と同じ理由により公職選挙法六七条の適用を誤つたものと言うべきであつて、論旨はいずれも理由あるに帰するものと言わざるを得ない。

第三、前示鎌田久仁夫の上告理由第一点の三、前示関岡賢一外三名の上告理由第一点の四、前示鈴木義男外一名の上告理由第四点の(三)、前示徳岡一男の上告理由第三点について。

原判決は「(略)」と記載された投票は、その書体から見て文字に不馴れの者が長瀬候補に投票しようとしてその氏を片仮名で「ナ」と書き「ガ」の「ノ」を書き落して「ブ」と書き、次に一旦「セ」の字をようやく書き得たのに間違えたと誤解してこれを抹消し「セ」の字の「フ」を書いたにとどまり「(略)」を脱落して誤記したものと認められるから、同候補に対する有効投票と判定すべきである、と判示する。しかし、右投票の記載自体からしては判示のように解明且つ認定し得られるものとは考えられず、ひつきよう右投票の記載の如きは不明な文字を連ねたものと認むべきであつて、結局公職選挙法六八条七号の場合に該当し、候補者の何人を記載したかを確認し難きものとして無効のものと解するを相当とする。さればこれを有効と解した原判決の判断は右公職選挙法六八条の適用を誤つたものであつて、論旨はいずれも結局理由あるに帰するものと考えざるを得ない。

第四、前示鎌田久仁夫の上告理由第二点、前示関岡賢一外三名の上告理由第一点の三、前示鈴木義男外一名の上告理由第五点の(一)、(二)、徳岡一男の上告理由第四点について。

原判決は「長井」「ナガイ」「ながい」と記載された投票は音感等において候補者長瀬健太郎の氏と通じ易く類似しており、かつ本件選挙における候補者中には「長」「ナガ」「なが」の文字及び音を有するものは存在しなかつたことからみて選挙人が同候補者に投票しようとしてこれを誤記したものと認められるから、いずれも同候補に対する有効投票と解すべきであると判示する。しかし、成程「長井」「ナガイ」「ながい」の一部の音感が候補者長瀬のそれと共通するものあることは否み得ないが、両者の全体としての呼び方と字形とを対比して考量すれば両者は必ずしもたやすく混同して呼ばれ或は誤記されるものとも考えられず、従つて右の場合右投票の記載自体からは選挙人が長瀬候補に投票するの意思を明確に表現しているものと認め得ないものと解するを相当とする。しからば冒頭記述したると同一の理由により右各通の投票は長瀬候補に対するものとしては無効のものと解すべくこれを有効のものと解した原判決の判断は前示選挙法の適用を誤つたものであり、論旨はいずれもその理由あるに帰するものと言うべきである。

第五、前示鎌田久仁夫の上告理由第三点、関岡賢一外三名の上告理由第一点の五、鈴木義男外一名の上告理由第四点(四)について。

論旨の投票について論旨指摘の部分が他事記載とは認められず、従つて本投票は長瀬候補に対する投票と解すべきであるとした原判決の究極の判断は当裁判所もこれを正当として是認する。論旨は独自の所見の域を出ていないものであつて、採るを得ない。

第六、鎌田久仁夫上告理由第四点の一、二、関岡賢一外三名の上告理由第一点の六、七、鈴木義男外一名上告理由第一点の一、二、徳岡一男の上告理由第五、第六点について。

論旨各投票の記載自体からしては選挙人が候補者川口清次郎に投票せんとする意思を明確に表わしたものとは到底解するを得ず、従つて冒頭記述の理由によつて川口候補に対する投票としては無効のものと解せざるを得ない。これと同趣旨に出た原判決の判断は正当であり、そこに所論のかきんあるを認め難い。所論判例も適切のものとは認められない。論旨は独自の所見に座するものであつて採るを得ない。

第七、鎌田久仁夫上告理由第五点、関岡賢一外三名上告理由第二点、鈴木義男外一名上告理由第三点(九)、徳岡一男上告理由第一五点について。

論旨の各投票における川上なる記載自体からしては選挙人が候補者川口清治郎に投票しようとする意思が明確に看取できるものと断定することはできない。従つて冒頭に述べた理由により川口候補に対する投票としては無効のものと解すべきである。これと同一轍に出た原判決の判断は正当であり、その判断の過程に所論違法のかどありというを得ない。論旨は独自の所見に外ならないものであつて、採るを得ない。

第八、鈴木義男外一名上告理由第二点、同第三点の(一〇)、(一一)、徳岡一男上告理由第七点、同一三点、二〇点について。

論旨各投票の記載すなわち中川清治郎、川口治三郎、山田清治郎、川島政治郎、川口春太郎、川口八郎、川口松太郎、川口竜太郎、川口ヒロシ、川口浩なる記載自体からしては選挙人が川口清治郎候補を志向している意思が明白に表れているとは到底解するを得ない。況んや本件選挙候補者中には石井治三郎なる者があつたというのであるから、右川口治三郎なる記載については右石井治三郎との混記ではないかと解され得る余地あるにおいておやである。右と同趣旨に帰した原判決の判断は正当であり、その判断の過程に所論違法のかどあるを発見し難い。所論引用の各判例は適切のものとは認められない。所論は右に反する独自の所見に属するものであつて、採るを得ない。

第九、鈴木義男外一名上告理由第三点の(一)、徳岡一男の上告理由第八点、第一一点について。

論旨各投票の記載の如きは選挙人が川口候補を当選さすべき意思を明確に現わしたものとは到底解する余地なきものと認むべきであり、無効の投票となすべきである。原判決は他事記載云々というが、その点はともあれ無効の投票であるという判断においては右と軌を同じうするものであつて、正当である。所論は専ら独自の見解に立つものであつて、採るを得ない。

第一〇、鈴木義男外一名上告理由第三点の(二)、徳岡一男上告理由第九点について。

論旨投票の記載は文字と認めても判読困難である。原判決のいうとおり無効と解すべきは当然である。所論は独自の見方というの外なく採用に値しない。

第一一、鈴木義男外一名の上告理由第三点の(四)、徳岡一男上告理由第一〇点について。

論旨各投票の山口なる記載については前示第八について述べたると同様に解すべきと考えられる。原判示のように氏名の混記と解するまでもなく無効投票と解すべきである。所論は独自の立場に立つての論議であつて採るを得ないこと勿論である。

第一二、鈴木義男外一名上告理由第三点の(三)について。

論旨投票の「(略)」なる記載につき原判決はその第一文字は「川」と判読できないこともないが、下部の筆蹟及記載形態からみて「口」とは判読できず単なる記号もしくは符号又は雑事を記載したものと認められ、無効となすべきであると判示する。右のような記載を全体として観察して選挙人が川口候補に志向する意思を明白に表現したものとは到底解すべくもないことは上来くりかえし説述したるところによつて明かであろう。原判決が理由はともあれこれを無効投票と断じたのはもとより正当である。論旨もまた独自の所見のみに座するものというべきであつて、採るを得ない。

第一三、鈴木義男外一名上告理由第三点のに(五)について。

論旨投票の「(略)」、「川田」なる記載自体からしては川口候補に投票しようとした意思が明白とは解し得ないばかりでなく、「(略)」なる記載は必ずしも川という文字であると解し得られるわけのものでもなく、また本件選挙区における候補者の中には「山田秀厚」「村田宇之吉」と名乗る者もいたというのであるから、右はこれらの候補者の氏名と混記したものと解し得られないこともないから、旁々以て右投票を川口候補に対する有効投票と解すべきでないとした原判決の判示は正当である。所論はまた独自の所見に立つているものであつて、採るを得ない。

第一四、鈴木義男外一名上告理由第三点の(六)、徳岡一男上告理由第一七点について。

論旨の如き投票の記載自体からしては、選挙人が川口候補に投票しようとした意思が明確に看取できるものとは到底解し得ないから、右が他事記載であるかどうかは別論としても、無効投票と断ぜざるを得ない。結論がこれと同一に帰する原判決の判断は正当であり、論旨は専ら独自の見方に立つているもので、採るを得ない。

第一五、鈴木義男外一名上告理由第三点の(八)、徳岡一男の上告理由第一二点について。

論旨投票の「川島」或は「川島政治郎」なる記載は第一文字は河口清治郎の川と一致しているが第二文字は川口の「口」とは字形、音感とも類似性も関連性もなく、まして川島政治郎と川口清治郎とは相異る称呼と解されるから、右のような記載からしては選挙人が川口清治郎へ志向する意思を明白に表明したものとは断じ難い。すなわち右投票はいずれも無効投票と解すべきである。所論引用の判例はこの場合適切のものとは認められない。所論はひつきようするに独自の見解に立脚するものであつて、採るを得ない。

第一六、鈴木義男外一名上告理由第三点の(七)、徳岡一男上告理由第一四点について。

論旨投票の記載を仔細に検討すれば、問題の文字は「へ」にあらずして「ん」と解するを相当と認める。しかるときは右「ん」は君の下に蛇足の送り仮名を附け加えたもので、結局君の字と結び付いて公職選挙法六八条五号但書にいわゆる敬称の類の中に包含さるべきものと解すべきであり、いわゆる他事記載と認むべきではない。されば、右投票は川口清治郎に対する有効投票と解すべく、従つてこれを無効と断じた原判決は右公職選挙法六八条の適用を誤つたものと言うの外なく、従つて本上告論旨は結局理由あるに帰するものと言わざるを得ない。

以上の次第で、当裁判所の判断によれば原判決が長瀬候補の投票として有効のものとしたものの中一一票は無効と認むべきであり、また上告人川口清治郎に対する無効投票と判断されたものの中一票は有効と認むべきである。してみれば、原判決が長瀬候補に対する有効投票として計上した一七九三五票は右一一票が控除されて、一七九二四票となり、川口候補に対する有効投票として計上された一七九三二票は右一票を加算されて一七九三三票となるべき筋合であるから、原判決の判断の範囲内における当裁判所の判断の段階では上告人川口清治郎を最下位当選者と、長瀬健太郎を最高位落選者と各決定さるべきである。従つて以上と相容れない原判決は爾余の論点すなわち本件決定が長瀬の有効投票とし原判決も有効投票としたものに関して(但し、前記において無効と判断したものはこれを除く)これを無効と主張する上告論旨については、敢えて審究をなすまでもなく、破棄すべきである。しかし、本訴の如き訴訟においては当裁判所の判断の対象とされた投票以外の投票に関しその有効無効について争わしめるを当然とするから、本件はこれを原裁判所に差戻し更に心理を尽さしめるのを相当とする。

よつて、民訴四〇七条に従い、裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 斉藤悠輔 裁判官 入江俊郎 裁判官 高木常七)

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